« 撮ったブルトレ | Main | 2016年の桜 »

2016.03.29

格下げブルトレ!?

皆さま、こんばんは。
模型製作は少々煮詰まっております。どの程度かと言うと、

 

(ノ`○´)ノ ┫:・’.::・┻:・’.::・おらぁ~

 

こんな具合です。
19820817010なので、このたびは誰もコメントを付けられないのは承知の上で、再び急行“はまなす”廃止に因んで、ブルトレのお下がりを使っていた夜行急行列車の話をします。

 

夜行急行列車をわざわざ「ブルトレのお下がり急行」「格下げブルトレ」と書くと「訳判らない」と言われそうですね。それもそのはず1982年以降の夜行急行は順次ブルトレスタイルになりました。しかしながら、夜行急行と言えば10系寝台車+43系座席車(稀に12系)などの一般型客車の編成が当たり前だった、今はオジサン昔は年少ブルトレファンにとっては「急行でブルトレなんて~!?」と驚いたもんです・・・(遠い目)。
まさか夜行急行=ブルトレの姿が「当たり前」になろうとは思いもしませんでしたからねぇ。

 

198008x008とりあえず、経緯だけ書いておきましょうか。10系寝台車置き換えの名の下に1976年(S51)に急行の銀河(東京~大阪)・天の川(上野~秋田)・新星(上野~仙台)へ20系が使われたのが最初だったと思います。まだ何も判らずに写真を撮り始めた頃でしたので、特急北陸も20系、急行天の川も20系で、カメラを構えながらビックリ・ポン!?だったのを昨日の事のように覚えています(?)。
その後に、かいもん・日南・さんべ・ちくま、が12系と20系の併結された編成と置き換わり、ロネ→ハザ改造の20系(ナハ21)を連結した十和田を始めとして、だいせん、津軽、おが、辺りまで20系でしょうか。10系寝台車がほぼ全滅した1982年頃から14系寝台車と14系座席車の組み合わせが夜行急行の一般的な姿となり始め、また20系だった急行も順次置き換えられ、格下げブルトレのスタイルが夜行急行列車の定番となりました。

 

と言う事で、まずは北から行きましょうか。
初渡道は1983年でしたので、地元を離れてあっちこっちへ行く頃には、道内の夜行急行「まりも」「大雪」「利尻」は軒並み14系化された後でした。ニセコも14系座席車でした。せめて1年早ければと地団駄を踏みましたけれど北海道は遠かった・・・。

 

198309013009198309077014

 

198309034014198309056010

 

編成もメモしましたけれど、あまり資料にもならないので省略します。たぶんWeb上で探せばワンサカ出てくると思います。3列車とも、ほぼ乗るだけの移動手段でしかなかったのがアングルからも判ります(日が経つに連れピントがボケています:苦笑)。大雪は何回乗ったか判らないくらい利用しました。ちょうど上のように上川で行き違いしますので、網走~上川を往復するパターンも使いました。もちろん全てハザ、一部“通路やデッキ!”での乗車です(笑)。

 

続いて一気に南へ行きましょう。
198602242021Nitinan

 

九州内夜行の「かいもん」(門司港~西鹿児島、鹿児島本線経由:左)と「日南」(門司港~西鹿児島、日豊本線経由:右)です。共に1986年2月、撮影場所は「かいもん」は門司港駅、「日南」は忘れました:汗。格下げ20系を座席車との混結編成に使うべく20系+12系のスタイルで置き換えられた夜行急行列車でした。この頃にはバックサインは絵入りマークになっています。もちろん乗ったのはハザです。(^^;
20系寝台車へ12系から給電する同スタイルの「ちくま」と「さんべ」には乗る機会も見る機会も無かったので、この珍妙な編成に乗る機会を得たのは幸いでした。・・・の割りに20系寝台車しか写っていません(汗)。「かいもん」「日南」は後に24系25形+12系の姿になったそうです。

 

関東圏内では「銀河」「新星」「天の川」の元祖格下げ20系トリオと、14系寝台車+14系座席車スタイル初登場した「能登」と「妙高」。20系座席車ナハ21(ナロネ21改)が連結された「十和田」と「「津軽」、その編成が押し出された「おが」がありました。

 

「銀河」だけは何度も利用しました。20系時代は2回だけで、もちろんハネです。
GingaoosakaGingakaya

 

1985091510Gingatokyo

 

後に14系?24系?24系25形?化されたようですけど覚えておりません:爆。右下の25形?だけはJRになってからの姿です。と或る方をお見送りする合間の1枚!

 

上野口へ目を向けます。左は「新星」のサボです。
1982年の東北新幹線大宮暫定開業で廃止になった列車です。
SinseisaboAmanogawasabo

 

Ef5887amanogawa右上は「天の川」のサボです。廃止になるまで20系のままでした。両列車ともバックサインは「急行」の2文字だけで、最後まで銀河のような列車名入りバックサインは無かったように記憶しています。天の川は1985年3月改正に臨時列車へ格下げされました(或いは天の川はネーム入りになったかも?)。

 

「能登」は「越前」の区間短縮による改称となった信越線経由14系時代です。この姿に馴染みのある方も多いかもしれませんが、オジサンにとってはスニ41を連結して10系寝台を連ねた上越線回り金沢行きの姿こそが能登です(断言)。中には東海道本線経由じゃろ?と仰る方も居る・・・でしょうか?(大汗)
1983noto198403xx004

 

右は1983年、左は1984年です。14系寝台車と14系座席車のスタイルを確立させた初期の列車ながら、1982年(S57)改正以後しばらくは牽引機が今までのEF62からEF65-1000に変わってしまい、一気に写欲を無くしてしまいました。地道に撮影を続けていれば、その内にロクニへ戻ったのに・・・残念な事をしてしまいました。

 

198403xx005「おが」です(1984年)。元々「十和田」(一番上の写真:ナハネフ23)に使われていた20系編成でして、ナロネ21を改造したナハ21を連結した編成として有名でした。その後「津軽」の置き換え用として転用されたものの、「津軽」では座席車の連結両数が少なくて不評を買ったそうで、1年も経たずして早々に「おが」へ転用された曰くつきの編成だそうです。確か20系寝台車を使っていた最後の列車だったと思います。「津軽」は後に再び14系寝台車+座席車の編成に変わったような気がしますが、写真を撮りませんでした。

 

19840728myoukou1「妙高」(1984年7月)です。編成は「能登」と共通でした。

 

この辺りの時代には、ヘッドマークも無く、バックサインも急行だけ、牽引機も天の川のEF64-1000以外は、同じEF65-1000でしたから、撮っていても張り合いが無くて参りました(苦笑)。
大阪駅で撮った20系時代の「だいせん」も同じく「急行」だけのバックサインの20系なので、載せても区別がつかないように思えてきました(大汗)。もう少し時代が下ってJR化間際になると、バックサインにも名前が入る筈ですので、華の無かった時代に当たってしまった不幸を恨むしかありません(諮ったな、シャア?)。なお、残念ながら14系化された「きたぐに」は見る機会も乗る機会もありませんでした。

 

 

東北上越新幹線上野開業(1985年)以後、年に一度の遠出以外はほぼ撮影を止めてしまい、復活したのが2000年~2002年の2年間でした。その中から、出かけたついでに偶然目にした「はまなす」(1994年:札幌駅)と「ちくま」(1993年:長野駅、14系でしょうか?)をどうぞ。
Hamanasu199303031007

 

ブルトレ・スタイルの夜行急行はスタイリッシュ過ぎて、オジサンには夜汽車の雰囲気もあまり感じられません。やっぱり、夜行急行列車は10系寝台を連結していた時代の方が話が広がりますねぇ。反面、うちのBlog内でこれらの画像を使う機会が、なかなか見つかりませんでしたから、この際“惜別!”の意味も込めながら、蔵出し画像一挙公開でありました。
駅撮り特急ブルトレは、改めて後の機会に。

|

« 撮ったブルトレ | Main | 2016年の桜 »

Comments

待っていました!!

確かにみんな急行の一言で片付けられちゃってますね ^^;

私は10系寝台なるものを知らない世代(ということにしてある)なので、逆に20系には親近感を覚えます。。
そんなのもあってか?「寝台急行「銀河」物語」なるものを購入してしまいました ^^;

Posted by: norigon | 2016.03.29 23:30

norigonさん、お早いコメントをありがとうございます。
こんばんは。

当初はバックサインが全て「急行」だけでしたので、面白みは無かったですね。むしろ国鉄末期~JRになって以後の方が良かったように思えます。(^^;
そんな中、銀河だけは別格のような気もします。20系は親しみを感じます~。

>10系寝台
高崎線や宇都宮線(東北本線)には遅くまで10系寝台の列車が走っていましたけれど、意外と生活場所に左右されるかもしれません。

Posted by: みのる | 2016.03.30 00:01

こんばんは。
いや~、懐かしいですねぇ、20/14/12系急行。撮影旅行の足として、とってもお世話になりました。
まりも、大雪、八甲田、十和田、津軽、おが、天の川、能登(これは43系)、きたぐに(これは583系)、等々。
北東北方面が多かったので、行きは十和田を利用して北福岡(今は二戸)付近で撮影。帰りは八甲田に乗って帰ってくるというパターンが、特に多かったです。
いい時代でしたねぇ…

Posted by: さとし | 2016.03.30 22:03

さとしさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。

乗っていますねー。
これらの夜行急行は、各地への移動にはとても便利でしたよね。おが・天の川・能登・きたぐには乗らず仕舞い。座席車主体だった津軽と八甲田は利用しました。もっぱら移動手段としてばかりでした(笑)。

Posted by: みのる | 2016.03.30 23:18

>これらの夜行急行は、各地への移動にはとても便利でしたよね。

「ワイド周遊券」と「夜行急行の自由席」のセットが、撮り鉄の移動手段の王道でしたからね。
最近の撮り鉄は、周遊券とか知らないんだろうなぁ。今は、どうやって移動しているんですかね?
まぁ、そもそも、魅力的な被写体が無いか。かわいそうに。

Posted by: さとし | 2016.03.31 00:39

旧客好きの私は、ブルトレは守備範囲外・・・ でしたが、20系だけは例外! なので、自然と20系急行は気になる存在でした。 でも、20系全盛期はまだ蒸機の残る時代でしたし、その後は旧国や旧客を追うこととなり・・・
気がつくと、20系はもう急行だけとなっていました。
20系だいせんが、近場でのハイライトでした。平日の出勤前に、武田尾に撮影に行く、なんて事もやっていました。良い時代でしたね。

Posted by: 廣瀬 | 2016.03.31 01:22

さとしさん、廣瀬さん、こんばんは。

>さとしさん
そうそう周遊券との組み合わせ無くして夜行急行は語れませんね。この2つがあったからこそ、あっちこっちへ行けました(懐)。
最近の移動手段は何を使っているのでしょう?夜行バスかもしれません。鉄道ホビダスサイトの「今日の1枚」は欠かさず見ていますけれど、今は今でいろいろと撮影しているようですね。まぁ私も模型しか撮らなくなりましたが。(^^;

>廣瀬さん、コメントをありがとうございます。
新幹線博多開業前の関西ブルトレも20系は少なかったですよね。でも急行運用になっても20系は趣がありました。
出勤前の“だいせん”撮影はスゴイ!です。(@@;
惜別ブルトレ企画ができるのでは?

Posted by: みのる | 2016.03.31 23:22

The comments to this entry are closed.

« 撮ったブルトレ | Main | 2016年の桜 »